法住寺(ほうじゅうじ)は東山区、七条通、三十三間堂前の交差点を200メートルほど下ったところにある天台宗のお寺です。
創建は989年。
時の右大臣、藤原為光(ふじわらのためみつ)が自分の奥さんと娘の菩提を弔うために建立しました。
(娘は第65代、花山天皇(かざんてんのう)の女御(にょうご)、藤原忯子(ふじわらのしし))
1158年には後白河天皇が火災等により荒廃していた当寺の寺域をご自身の住まいとして定められ、三十三間堂(蓮華王院)等の建立を行われます。
明治の世になり、後白河天皇陵が宮内庁管轄となると一旦はその寺号を大興徳院と改めますが、1955年に旧寺号である法住寺に復帰。
今も後白河天皇ゆかりの寺として多くの参拝客が訪れています。
衆生の救済を強く願われ、ついには三十三間堂という途方もないお堂まで建立された、後白河天皇の思いに触れる意味でも、三十三間堂に行かれた際は、是非、法住寺にも足を延ばして頂きたいと思います。
法住寺のアルバム
山門。
七条通から三十三間堂前の交差点を南に下り、養源院を過ぎるとすぐに法住寺の山門が見えてきます。
門前には二つの古い石碑が並んでいます。
一つは後白河天皇陵参道の石碑。
かつては法住寺が後白河天皇陵をお守りしていましたが、明治以降は宮内庁の管轄となっています。
もう一つは親鸞聖人そば喰い御木像の石碑。
法住寺には親鸞が六角堂に籠っている際に、そのことを周囲に悟られないように比叡山で親鸞の代わりにおそばを食べてみせたという木像がお祀りされています。
パーマンのコピーロボットみたいな話ですね。(笑)
本堂。
お堂自体はかなり新しいもののように見受けられました。
古くても昭和の建立ではないでしょうか。
こちらにはご本尊の不動明王がお祀りされています。
本堂の内部。
不動明王像自体は小さいものなのか、しっかりとは確認できませんでした。
法住寺の不動明王は「身代り不動明王」と呼ばれています。
文字通り、あらゆる災厄から、身代わりとなって守って下さる不動明王様で、後白河天皇もそのご利益で、命拾いをされたことがあるらしいですよ。
それにしても、すごい提灯の数。
多くの方の信仰を集めていることがよくわかりますね。
阿弥陀堂。
本堂の向かって左手にあります。
本堂よりは明らかに古く、風格のある建物です。
参拝当日は、盛んに読経の声が聞こえていました。
手前に見えているお庭の部分が気になりますね。
3つの石は何を示しているのでしょうか。
山門をくぐると正面にある建物。
おそらく方丈ではないかと思われます。
見てのとおり玄関は固く閉ざされています。
境内。
方丈前から右に折れて進むと本堂や阿弥陀堂があります。
地蔵堂。
手水所も兼ねています。
鎮守社。
山門をくぐって、すぐ左手にあります。
豊川陀枳尼天(とよかわだきにてん・豊川稲荷)と厳島弁財天(いくつしまべんざいてん・厳島神社)をお祀りされています。
福寿観音。
本堂の向かって右手の通路沿いにお祀りされています。
南側にある門は竜宮門となっています。
手入れの行き届いた松の木と相まって大変、趣のある景色です。
法住寺の基本情報
法住寺の基本情報は以下の通りです。
法住寺 | |
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山号 | |
宗派 | 天台宗 |
創建 | 989年 |
開基・開山 | 藤原為光(ふじわらのためみつ) |
所在地 | 京都府京都市東山区三十三間堂廻り655 |
電話番号 | 075-561-4137 |
アクセス | ①京都駅より市バス100、206甲、208乙、急行110系統乗車、博物館三十三間堂前下車。 乗車時間7分、徒歩3分。 ②京阪七条駅より徒歩9分。 |
拝観時間 | 9時~17時 |
拝観料金 | 無料 |
ご本尊 | 不動明王 |
寺宝 | 親鸞聖人そば喰い木像 |
行事 | 1月15日に近い日曜日、無病息災大根炊き 2月3日、節分会 10月14日、今様歌合(いまよううたあわせ) 11月15日、身代不動尊大祭 |
法住寺の所在地図
赤色のマークが法住寺の所在地となります。
同時に参りたい法住寺近くのお寺と神社
・三十三間堂(さんじゅうさんげんどう・蓮華王院(れんげおういん))
・新熊野神社(いまくまのじんじゃ)
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