法然が初めて念仏の教えを説いた地とされている寺院で、西山三山のひとつ。
特に紅葉が素晴らしく、赤く染まる「もみじの参道」が圧巻の美しさです。
名称 光明寺
楽しめる花(★はおすすめ) 【春】桜【夏】★青紅葉【秋】★紅葉、菊
ベストシーズン
公式サイト https://komyo-ji.or.jp/

光明寺の概要

光明寺の概要

光明寺は、建久9年(1198年)に法然上人の弟子である熊谷蓮生法師によって、京都府長岡京市西山に「念仏三昧院」として創建されました。
法然が初めて、念仏の教えを説いた地でもあります。
没後1227年に法然上人の石棺から一筋の光が放たれたとされ、以後、「念仏三昧院」から「光明寺」と改められ、「粟生光明寺」とも呼ばれています。
善峯寺・楊谷寺とあわせて西山三山のひとつで、紅葉の名所としても知られ秋には多くの観光客が訪れます。

光明寺の概要

光明寺の見どころ

もみじ参道

200mほどの参道に、約250本の見事な紅葉が植えられた真っ赤なトンネルは圧巻の美しさです。
散り際の敷き紅葉は「もみじ参道」と呼ばれ、秋には多くの人で賑わいます。
参道は紅葉の時期は帰り道専用の一方通行となるため、お堂や庭園の拝観後に通ることになります。

光明寺の概要

薬医門

もみじ参道の途中にある門で、薬医門(やくいもん)と呼ばれます。
薬医門は門の様式のひとつですが、名前の由来は医師のための通用門いう説と、矢を阻止するための矢食い(やぐい)から来ているなど諸説あるとされています。

鎮守社

法然上人が埋葬される際に、鳩とカラスが現れて空を舞い始めたと伝えられています。
鳩は石清水、カラスは熊野の神の使いの鳥であることから「法然上人の埋葬を悲しんで、両宮の神様が見送って下さったのだろう」と、左側に石清水八幡宮、右側に熊野権現を御分霊として迎え、鎮守の神としました。

法然上人の「石棺」

法然上人の死後、石棺は太秦広隆寺にほど近い藪に隠していたと言われています。
この石棺から光が放たれ、光明寺のある粟生の地に届いたことから、法然上人のご遺骸をこの地で荼毘に付すことになりました。
光明寺の由来とも深い縁がある石棺で、光が届いたことから四条天皇より「光明寺」の寺額を賜ったと伝えられています。